July 01, 2005

小田和正ライブ SHIBUYA-AX 7/1 ライブレポ

以下は、今ツアーの小田和正さんのライブを見るにあたって、
MCや曲目が重複した場合でも問題ないという方のみ、お読みください。
魚も小田さんも新鮮じゃなきゃ嫌という方には
ライブレポートが逆効果になる可能性もあります。 ご注意ください。
ちなみに僕は新曲をライブで初めて聞きたくて、買ってはいたけれど
「そうかな」を聞かずに臨みました。

***********************************************************************************

ひとつのアルバムを200万枚売るアーティストが
1000人に満たないキャパのライブハウスで演奏するということは、
想像以上に収拾がつかなくなるものなのだろう。
今回は『FAR EAST CAFE in SHIBUYA@FUTURE』という
小田さんオフィシャル・ファンクラブが出張した渋谷の会場に
6月26日(日)〜29日(水)の4日間で来た人のみが
備付けのパソコンから応募、抽選できるといった
前代未聞の応募方法が採用された。

ネットオークションを利用した営利目的による購入を
回避するための処置でもあるし、
良心的かつ、公正な試みだとは思う。
4日の間に渋谷に行って、当たるかわからない
メールを待つというのはファンとして、たまらないことだ。
時間の余裕と容易に渋谷にアクセスできる環境がなければ、
応募は難しいのは事実で、かなりクローズドな趣きである。
そこがファンには、なおさら、たまらないことではあるけれど。

今回は、関係者席2Fの最前列、ほぼ中央から見ることができた。
見下ろすと1Fは約600席、PAの後ろは立ち見席。
2Fと合わせても900人ぐらいだろうか?ミキサー卓には
オフコース時代からのお馴染み木村史郎さんが見える。

THE BEATLES "Long and Winding Road"
JAMES TAYLOR "You've got friend"
THE 5TH DIMENTION "Up,Up And Away"など
名曲揃いの客入れだ。

AXは思い出深い。結局は採用はされなかったが、
自分が名付け親になってもおかしくなかったかもしれない。
ステージでカラオケを歌ったこともある。

そんなつまらないことを思い返していると、
客電が消え、暗闇から白いスーツをまとった7人が現れた。
腕まくりしている小田さんはまるで1982.6.30.in Budokanの頃みたいだ。
ステージが明るくなると、紛れもない現在の小田さんが現れた。

#1 ”LET IT BE”

THE BEATLESのカヴァーがオープニング。
「風のようにうたが流れていた」でも披露していた。
歌詞を忘れたのか、2番で一瞬ピアノと共にが歌が止まるシーンがあって、
場内が盛り上がる。<いきなりですか!>

MC :なんで"LET IT BE"なのか自分でもわかりませんが...と言っていた。
<そりゃ、誰にもわからない>

メンバー紹介
DRUMS&PERCUSSIONS:木村 万作
KEYBOARDS:栗尾 直樹
GUITARS:稲葉 政裕
BASS:有賀 啓雄
B.G.V:木下智明
SAX&FLUTE:園山 光博

ベース以外はおなじみの"Far East Club Band"レギュラーメンバーである。
山内薫さんは今回参加できないらしい。
ドラム以外は全員コーラス兼任<5声>
だから、全体はかなりぶ厚い音になる。
山野楽器フリーペーパー"Jam Spot"小田和正特集のインタビューでも、
「コーラスの練習が一番難しい」と小田さんは語っている。
往年のオフコースよりコーラスに力が入っていると思ったのは
私だけはないはずだ。

#2 「ラブストーリーは突然に」

おっと、ここでいきなりミラーボール系です。珍しい曲順。
もうお約束すぎて、個人的にはつらく思える曲。
でも、これを聞きに来る人も多いので、
小田さんの気持ちがちゃんと入っています。そこがすごい。
♪今、君の心が動いた♪の手拍子のところは
ハンドマイクを客席に向けます。
今回そのマイクを大胆にも男性のお客さんに渡し、
サビの1フレーズが完全にカラオケ状態になりました。
その人、けっこう上手でびっくりしました。
<普通、男にはキーが高すぎるんですが。。。>

#3”the flag"

今日通勤途中でi-podを聞いていたら、
この曲の歌詞が改めて頭に飛び込んできた。


自由な翼を 僕らはたたんで 二度と そこから
飛び立つことはなかった
やがていつの日か この国のすべてを 僕らがこの手で
変えてゆくんだったよね
ここから 行くべき その道は どこかと 
できるならもう一度 捜さないか
戦える 僕らの武器は 今何かと それを見つけて 
ここへ 並ばないか
僕は あきらめない 誰か 聞いて いるか
僕は ここにいる 誰か そばに いるか

”the flag"作詞、作曲:小田和正
アルバム「個人主義」収録から一部引用

<今の社会を考えると、ほんとにせつなくなった。
もし、小田さんみたいな考え方の政治家が集まっていたら、
日本はもっと良くなっていたはず。
学生運動の時代の人にとって、この曲はロック以外なにものでもない。
熱い歌だと思う>

MC:見たことがない人が今日はいっぱいいる。
来週の武道館にも来る人は?、来ない人は?
こんなにいるんだ。おかしいな。
今日は武道館に来ない人中心にやります。(笑)

MC:次の曲は今回のツアーで初めてやる曲です。
だから間違えたとしても、許してねということです。(笑)

#4「静かな場所」

#5「たそがれ」

<小田さんアコギ、稲葉さんガットでのアレンジ。
コーラスの再現性も高い。英語の歌詞はなし>

#6「眠れぬ夜」

<完成度の高いアレンジ。古さを感じさせない曲>

MC:TVは昔出演して、相当嫌な思いをしたのでずっと避けてきたが、
勝手にやっていいというので引き受けた。まだオフコースが二人の時、
「小さな部屋」というライブを月イチくらいで日本青年館でやっていた。
漫画家のみつはしちかこさんを呼んで絵に合わせて演奏したり、
マルチトラックレコーダーでコーラスをその場で多重録音したり、
たいそういろんなことをやった。そういった企画ものがそもそも大好きなので、
そのノリで4年前からテレビをやってきたが、
昨年のレギュラー「風のようにうたが流れていた」は本当に毎回大変で
死ぬ思いだった。当初、全12回予定だったが、
大リーグワールドシリーズにより収録が1回休止になって、心底ホッとした。
ここで、「風のように」でやったナンバーをやります。後ろのメンバーには
何をやるのか事前に伝えていないので、ドキドキしているはずです。

一曲目は服部良一氏の曲です。「青い山脈」もそうだし、
「蘇州夜曲」も本当にいい曲ですよ。では「銀座カンカン娘」。
ここで、違う曲と勘違いしてアコギでスタンバっていた稲葉さんが
急にエレキに持ち替える。(場内爆笑)

#7「銀座カンカン娘」

MC:呼んでもスタジオに来れなかった人も中にはいて、
昔はいちいち気にしていたけど、いや、実はごく最近までだったですけど、
今はもう慣れました。
北山修氏に朗読とかしてもらいたかったんだけど、あの人はお医者で
いろいろあって、来てもらえなかった。

#8「あの素晴らしい愛をもう一度」
<初期のオフコース、一時は加藤和彦の事務所か杉田次郎の事務所の
どちらに入ろうか悩んだくらいだから、感慨深いんだろうなと想像>

MC:本当にあっけらかんとした歌です。

#9”Happy Birthday Sweet Sixteen”

MC:皆さん、ここでリクエストとかありますか?
<さんざん客席から聞いたあとで>
今、声があがらなかった曲をやりますが、
<そりゃTV未公開だから視聴者は知らないッス...>
初めて覚えた外国語の歌です。

#10”Quizas,Quizas,Quizas”
イントロから歌に入れなくてやり直し。
「あっ!ごめん」(場内大爆笑)

MC:ガロで一番仲の良かったトミーの曲です。

#11「地球はメリー・ゴーランド」
<ビートルズっぽいアレンジと現在の小田さんにマッチした曲調。秀逸>

MC:子供の頃、亡くなった人のことを考えると、その人が近くに来ると
考えていた。もしかしたら、トミーもここに来ているのかな?
<小田さんちょっとウルウルモードだったが、その語り口に図らずも
笑ってしまったある観客に向けて「どこが可笑しいの?」と
多少ムッとしながら呼びかけた。<傷ついたんだろうな>
<教訓:良き思い出の中、素直になっている人を笑うべからず>

MC:「さっきも声が上がっていた曲です」。
<実際、僕の隣からも聞こえた>

#12”Hotel California”

ここで「風のように...」コーナー終了。
オフコース時代からのエンジニア、ビル・シュニー氏にあてたメッセージを
英語で読む。<歌以外の小田さんの英語を初めてちゃんと聞く>
<一番最初のソロアルバム”K.ODA"はオフコースと平行した時期に、
ロスに住居を構え、プロデューサーをビルに迎え制作した背景有>
この曲はア・カペラで録音されていますが、それは日本語で歌える人が
僕しかいなかったからです。というジョークを交え、
"a certain insurance company"のために書いた曲です。
とぼやかして、言っていたのが面白かった。

#13「哀しみをそのまま」
<感動的な歌詞だと思う>

ギターのチューニングで「待った」がかかったのを受けて
そのままこの<敬虔な>気持ちで次の曲に行きたかったのですが、
しゃべります。
と上記のせっかくスポンサーへの配慮としてぼやかして表現していた
部分を説明し始める。
<これ以上は仕事の関係上、ご想像にお任せします>

#14「たしかなこと』
<「言葉にできない」の代わりに、この年齢でこんなにいい曲を書いた
小田さんに感動を禁じ得なかった。今、大好きな曲。ほんとうにいい曲だ>

MC:なんて読むか、まだわからないんですが、メールなどの返信のことです。

#15"Re"

#16「正義は勝つ」
#17"Yes-No"
#18「キラキラ」

MC:タイアップって言葉がいやらしいけど、人から期待されたり、
注文されたりすることは曲を作るモチベーションになるので、
ありがたいことです。

#19「明日」

#20「言葉にできない」
<この曲はコード進行から、アレンジまでクラシックに近い曲なんだと
再認識した。松山千春に「人間国宝級」と称されたその歌声にますます
輝きが加わっていることを実感。昔を思い出したいから見に来る人だけ
ではない、今の小田さんの歌に感動して見に来る人がいるからこそ、
ファンの絶対数が増えている。1982年当時よりも、歌/演奏ともに
レベルが上がっているのは一体、どういうことなのか?
それを知りたくて僕は足を運んでいる。だから、
小田さんには決してライブはやめて欲しくないと思う>

一旦、仲締め後、アンコール。全員がおそろいのまっ白Tシャツ。

En#1"Oh Yeah"
<栗尾さんのピアノと園山さんのソプラノサックスが掛け合いで
ソロをとるところが、スティングのライブみたいでかっこいい。
CDとはアレンジをかなり変えていて、一番新鮮だった>

En#2"夏の日"
<なつかしいイントロ。夏を意識しての選曲なんだろう>

En#3"君住む街へ"
<一人で来ていた隣の20歳前半くらいの女の子が泣いていた。
阪神大震災の時もそうだけど、この曲はそういう曲なんだろうな。
自分はもっと違う曲にグッとくるけど>

再び舞台から下がり、2度めのアンコール。
もうないだろうと帰る人は立ち見席の人だけ。
でも、皆の願いが叶い、再び登場するメンバー。

MC:<ライブ序盤に今日は8000円分は楽しませますよと宣言していたが
この時点で「8200円ぐらいにはなってるだろう」とコメント。場内爆笑>

En#4"またたく星に願いを"
<定番のノリノリ・ソング。小田さんの楽曲の中でも異色なラテン・ビート>

En#5"キラキラ"
<2度めのキラキラ。同じ曲をやることで終わった感を演出するのは昔から
変わらない。小田さんライブのお約束?>


場内アナウンスが流れても、もう一度だけ出てきてほしいという
願いの込もった拍手が鳴り止まなかった。
皆、終わりが来ることを知っていながらも、
自分からは終わらせたくないのだ。
小田さんのサービス精神に甘えて、あり得ないことを
期待しながら、僕も最後まで拍手し続けた。
ここまで、あきらめの悪いファンたちは初めて見たような気がする。
それだけ、このライブは特別な一夜であると感じていた人が
多かったということなんだろう。小田さんを本当に好きじゃないと来れないライブ。
いや、本当に好きなんだけど、来れなかった人がいっぱいいたライブ。
そんな人たちの気持ちを代弁するかのように、
拍手はいつまでも鳴り止まなかった。
撤収時間を含めて、時間で契約している興行サイドへの迷惑などは顧みず、
すでに8000円じゃ到底追いつかないほどの満足を得ているにも関わらず、
僕らは拍手を止めることが出来なかった。夢から醒めない状態とは
こういうことを言うのだと思う。
武道館の前哨戦としては、ファンも小田さんもメンバーも
気合いを入れ直すことができたライブだったと思う。
今年いっぱいまで続くツアーはまだまだ始まったばかり。
半年後に、どう変化しているかがとても楽しみである。
かつては体調不良による公演延期というハプニングもあった。
どうか、くれぐれも無理のない範囲で
小田さんにはがんばってほしいと思う。

P.S.
今回ツアーパンフは非常に中身の濃いものなので、
3000円しても買っておいて損はないように思います。
メンバーの血液型を見て、びっくりしました。

当然のことながら、会場内の録音が禁止されているので、
記憶とメモをたよりに書いたことなので、
勘違いや曲解が生じてしまっていましたら、すみません。
来たくてもどうしても叶わなかった方が、
参考としてライブの様子を思い描いて頂ければ幸いです。
トータルで約2時間半のあっという間の夢物語でした。

ここまでの長文・駄文を読んで下さり、ありがとうございます。

今泉 慎太郎
http://imaizumishintaro.cocolog-nifty.com/

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 23, 2005

小田和正への思い①オフコース解散まで

この人のことを考えるとせつなくなる。
かれこれ25年以上、ずっと見守ってきた。
直接会ったことはない。会うのが怖い。
遠くから一方的にずっと思っている。
憧れの人だ。

人間、すごい好きだと、追いかける人と、近づけなくなる
人がいるのかもしれない。
僕はファンクラブにさえ入れないでいる。
ただCDを聴き、ライブに行くだけ。
それ以上のことを始めると、キリがなくなりそうだ。

熱狂的とまではいかないが、
かなりのファンであるとは自負している。
それがどれほどかと問われても、
25年分としか答えられない。
彼のことを知っていればいるほど、良いというわけでもないし
人それぞれの思いなど比較できない。
言えるのは、彼ががんばっている限り、
自分も作詞・作曲を続けていられることだろう。

あんな風に歌えないから、
何度も音楽をやめようと思った。
けれど、彼からもらったものを
そのままにしてはいけない。
理解は行動で示す他はないと思った。


音楽評論家でオフコースや小田さんを語る人は
意外にも少ない。YMOや達郎は絶賛されているのに、
小田さんを音楽的に正当に評価している記事を見たことがない。

最近オフコースはAORだとか、ソフトロックだとかいって、
名盤的扱いで紹介されているケースもあるが、それはキリンジなどの70年代
レイドバック文脈から来ているのだろう。確かにオフコース/小田さんの作るサウンドは
当時の洋楽ヒット曲を上手く取り入れてるし、
その匂いを嗅ぐだけでも新鮮な発見はあると思う。

カーペンターズ、スタイリスティックス、ミシェル・ルグラン、キャロルキングなどの
70年代前半の音楽に僕は妙に惹きつけられる。
5歳にも満たない子供が、それらをリアルタイムに
聴いていたとも思えない。なぜ、この時代の雰囲気に落ち着くのだろう?
ある時、それらすべてがオフコースからの逆輸入であることに気づいた。
僕にとって「さよなら」以前のオフコースは未だに大人の世界への
憧れである。

”WE ARE”以降は完全にリアルタイムの記憶がある。当時はオフコースが時代を
リードしていた。そんな気がしたものだ。たぶん本当にそうだったと思う。
今のアーティストとは比較できないくらい文化的影響力があった。
僕が考える80年代前半の雰囲気(思想)とはオフコースの「言葉にできない」と
ポリスの「見つめていたい」に集約される。
シンセストリングスのパッド、歪まないギター、機械のような8ビート。
ドラマ感を強調し過ぎないアレンジに乗せて、
エモーショナルな内容をさらりと歌う。
スクエア、クールネス、ポストモダン、モノクロ、シンプリシティという言葉に
表されるあの当時の空気感を体現するシングル・レコードというメディア。
音楽がまだ力を持っていた時代の名残りだった。

70年代的なものを消化した上で、カウンターとして
発表された"WE ARE"からの3部作は,
まさに時代を映す名盤だと思う。なにせ音が良かった。
ビル・シュニーによるミックスダウンは
他の邦楽とは比較にならない程、AORしている。
楽曲のみならず、オフコースは音の良さで売っていたという
認識に間違いはないだろう。

80年代後半、”The Best Year Of My Life"から
”Still A Long Way To Go"までの末期のアルバムについては
コメントすることが難しい。

一般には80年代中盤以降の音楽は世界的に
ひどいものだったと言わざるを得ない。
テクノロジーが演奏技術を駆逐し始めた。要は人間が機械に使われていた。
目先の新しさに皆が走り、クラプトンに代表されるプレイヤー主義は
取り残された。
中身の軽いアメリカンロック、やけくそなへヴィメタ、
シンセ=おしゃれなユーロポップ、歌謡曲とニューミュージックとYMOが
ごった煮になった日本の音楽シーン。とにかく混沌としていた。
みんなが迷走していた中、オフコースも例に漏れなかった。
日本はバブル真っ最中の出来事。
莫大なお金を使って試行錯誤しているのが、高校生の自分にも見て取れた。
アルバム"As Close As Possible"のゲストが坂本龍一と
大貫妙子だったりすることに、未だ?マークを禁じ得ない。

当時の坂本龍一のラジオにゲストに出演した小田さん。
シングル「夏から夏までの」唐突なオーケストラ・ヒットを
「これ、なんですか?」龍一氏に指摘され、
イミュレーター(当時最先端のサンプラー)を
使ってみたんだけど・・・とちょっと返答に困っていた。
確かにあの「オフコースmeetsピコピコサウンド」みたいな
アレンジはかなり違和感があったと記憶している。

解散するまでに、何回かコンサートを見に言ったが、
DVDにもなっている「1982.6.30」を基準に考えてしまうと、つらかった。
松尾さんのストラトがやかましく、ハードロック色が強すぎと感じた。
やたらポップでメジャーなイメージに戸惑ったファンも多かったと思う。
タモリに「暗い」とも称されたナイーブさはさほど感じられなくなった。
最後のライブ”The night with us"も見に行ったが、解散イベントで
あったにも関わらず、僕の印象はなぜか薄い。
「時代に取り残されている。解散は必然かも」と冷静な目で見ていた。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 28, 2004

小田和正による有終の美

先日の「クリスマスの約束」の小田さんの発言を受けて、
ファンは尋常ではいられなかった筈だ。
「もうテレビはいい」とか「オフコースがすでに終わっていることを
あいつらにわからせてやりたい」
とかの過激な発言が小田さん自身の口から飛び出した。
これらは前後の文脈がなかったので、いかようにも解釈できそうだが、
番組サイドの期待と小田さんのやりたかったことが食い違ってしまって
いたことは事実なのだろう。

ここでいう「あいつら」とはオフコースのメンバーとも読めるが、
メンバー自身からそんなに再結成の声が挙がっているとは思えない。
「あいつら」とはオフコースという過去の音楽に執着している番組スタッフや関係者の
ことを指すのだろうか?

確かに”YES-YES-YES”や「Nextのテーマ」を
LOOKING BACKしたことは意外であった。おそらくもうないかもしれない。
「君住む街へ」を含む、これらの決別のテーマソングが出そろったことにも
なんらかの意味はあるのだろう。

そもそも小田さんはいつも終わりを想定している人だ。
どう終わるかについてばかり考えている人だ。
オフコースを本格的にスタートさせるために、「建築への決別」というタイトルの論文を
早大教授にたたきつけたというくらい、なにかを終わらせないと何かを始められない
不器用で誠実な人柄。

有終の美へのこだわりは、必ず次の新しい一歩につながる。
けじめをつけることにエネルギーを注ぐことによって、前述の奇跡的な楽曲が生まれた。
今回の「風のようにうたが流れていた」というテーマソングもおそらくテレビ上で
過去の音楽的体験を振り返ることへのけじめとしてかかれた曲である。
その決意が再び名曲を生み出したのだと思う。

「クリスマスの約束」という恐ろしく企画力に富んだシリーズが、
今回ただの月曜組曲第一部総集編に留まってしまったのは、
前回で「クリスマスの約束」の企画は完結していたからだと思う。有終の美を壊して、
中途半端な企画をやるつもりは小田さんにはさらさらなかったのだろう。
ただ、番組的には今年は「クリスマスの約束」はありませんとは言えず、
月曜組曲第一部自体が「クリスマスの約束」から派生したようなものなので、
そのタイトルを付けることに問題はないというTBSの見解のように見える。

しかし、「クリスマスの約束」と「風のようにうたが流れていた」とはまったくコンセプトが
違うのではないだろうか?「クリスマスは」同時代を生きるミュージシャンとの交流の場。
「風のように」は小田さんが過ごしてきた過去とその時代を振り返ることによる、
自分自身の整理・確認。それはあの時代はよかったという懐古趣味なんかではなく、
今の自分がここにいるのはそれなりの過去があったためで、
それをちゃんと検証した上じゃないと、残り少ない時間をどう過ごしていくかを
決めることはできないという必要に駆られた行為のように見える。

そもそも今回のクリスマスの「約束」とはなんだったんだろうか?もうテレビにはでない。
オフコースの曲を懐古的にはやらないということなのか?そんな皮肉な話になるくらい、
今回できる「約束」は乏しかったのだろう。
できない約束はしないのが小田さんの誠実さだと思うが、
ひとこと、コンサートでファンのもとに帰ることは示唆していた。

小田さんがテレビにでなかったことにはいくつかの理由があったけれど、
それを乗り越えて数年前から新たな境地に踏み出した。
彼はいつもパイオニアであり、道を作っていく役割の人。
今回単純に見ている人にはわからないかもしれないが、
レパートリー以外の曲をあれだけアレンジし、DVDの半永久なデジタル録画に耐えうる
完璧な演奏に仕上げていくことに対する労力と精神力は
全国ツアーをこなす以上のものだったに違いない。

ここまでやれば、もうテレビとも気持ちよく決別できる。
それが小田さんの本音なのだろうと思う。
クリスマスの約束の収録を見に行ったことがある人ならわかるが、
何度も何度も納得がいかないところは撮り直している。画面には当然そこは映らない。
視聴者には小田さんが坦々とやっている印象を与えている。
無料で見ているにも関わらず、軽薄な発言をする視聴者も中にはいるだろう。
そこがテレビの恐いところだ。見ている人がすべて小田さんのファンではないところに、
逆に小田さんはやる意義を感じたのだと思う。

なんらかを感じ取ってくれた新しいファンを巻き込んで、
来年以降はコンサートに専念するというのも、
小田さんらしい選択だとも言える。かつてそれを貫いてきたし、
1982.6.30の武道館コンサートの映像を見る限りにおいて、
それは間違いではなかったと確信できる。


すべては彼の企画から始まったことであり、
まわりが何を言おうと終わらせることができるのは彼のみである。
僕らはただ、小田さんの生き方を見守ることしかできない。
その有終の美をファンとして目撃することしかできない。
この3ヶ月間、視聴者は意識的にも無意識的にも、
そうやって小田さんを見つめてきた筈だ。


小田さん、すべてを委ねますので、大いにかっこつけて下さい。
見守ることしかできないけど、応援しています。


自身のバンドFarewell Touchホームページ
http://which.xrea.jp

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 27, 2004

風邪のように・・・

12/20のBRAVE BARライブの前日風邪をひいてしまい。
当日は何とか最悪の状況は免れたけれど、
今、つけが回ってきている。のど風邪なので、歌を歌う人間にはまずい状況である。
まあ、今しか風邪をひく暇もないだろうから、深刻には考えていないけれど、
年開け8日にはライブなので、おちおちもしていられない。
クリスマス前の2週間というもの、3時半前には寝れた試しがなかったので、
たっぷり寝ようと思う。

「クリスマスの約束」はお話にならなかった。あれは小田さんとTBSサイドとの
確執が絶対にあるように見える。
「風のように~」の総集編というタイトルを付けるべきだったのだろう。
「クリスマスの約束」というブランドに傷がついたのではなかろうか。
小田さんが何か特別なことをやってくれるんじゃないかというファンの期待に
残念ながら今回は応えてられてはいない。

年末の飲み会で1万円よけいに払おうっと。
俺の曲も「風邪のように歌が流れて」くれないかな。この冬大流行みたいな。
それって社会の迷惑か・・・


自身のバンドFarewell Touchホームページ
http://which.xrea.jp

| | Comments (0) | TrackBack (0)